東京高等裁判所 昭和48年(行ケ)10号 判決 1979年5月10日
原告
モンテカチニ・エジソン・エス・ピイ・エイ
外1名
被告
特許庁長官
主文
特許庁が昭和47年7月13日、同庁昭和35年抗告審判第715号事件についてした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第1当事者の求めた裁判
1 原告
主文と同旨の判決
2 被告
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決
第2当事者の主張
1 請求の原因
(1) 特許庁における手続の経緯
原告両名は、昭和31年(1956年)12月22日、特許庁に対し、1955年12月23日にイタリー国でした特許出願に基づく優先権を主張して、「高分子オレフイン共重合体及び其の製造方法」なる発明につき特許出願をし、昭和31年特許願第32063号事件として審理されたが、昭和34年10月2日に拒絶査定を受けた。そこで、原告らは旧特許法第109条の規定による抗告審判の請求をし、事件は昭和35年抗告審判第715号事件として特許庁に係属したが、原告らは、昭和38年1月21日、本願は2発明を包含することを発見したとの理由で、旧特許法第9条及び旧特許法施行規則第44条の規定に従つて、別途分割出願をするとともに、本願発明の名称を「無定形オレフイン共重合体の製造方法」と改め、昭和40年2月25日には特許請求の範囲を後記(本願発明の要旨として(2)に記載)のとおり訂正したところ、昭和44年特許出願公告第9668号として公告されたが、昭和47年7月13日「本件抗告審判の請求は成り立たない。」との審決がなされ、上記審決書謄本は同年10月2日原告ら代理人に送達された。出訴期間は職権により昭和48年2月1日まで延長された。なお、原告モンテカチニ・エジソン・エス・ピイ・エイの名称はもとモンテカチニ・ソシエタ・ゼネラル・ペル・ランダストリア・ミネラリア・エ・シミカであつたが、昭和42年7月7日現在のとおり改称された。
(2) 本願発明の要旨
「室温でガス状態で測定したモル比は1:1ないし45:1の範囲内にあるプロピレンおよび(または)ブテンー1とエチレンとの混合物を、周期律表第1ないし第3族金属のアルキル化合物特にアルミニウムのアルキル化合物の四塩化バナジウムおよびバナジウムオキシクロライドから選ばれた炭化水素可溶性バナジウム化合物とを2:1ないし10:1の範囲内のモル比で反応させて得られた触媒を用いて重合することを特徴とする5ないし70重量パーセントのエチレンを含み、エラストマー製造に適するプロピレンおよび(または)ブテンー1とエチレンとの線状で実質的に非分岐であり、実質的に無定形の、しかも単一重合体を含まない共重合体を製造する方法。」
(3) 審決理由の要旨
1 本願発明の要旨は前項記載のとおりであると認められる。
2 重合温度について
(1) 本件出願の明細書第7頁末行ないし第8頁第1行に「室温ないし100℃の温度において」と記載され、また明細書に記載された実施例の重合温度は室温以上あるいは20℃以上である。
(2) 請求人が当審において昭和37年7月16日付で提出した意見書には、「この特徴は………(中略)………反応温度を室温乃至100℃で行なうことによつて始めて得られるものであります。」と記載されている。
(3) 本願の方法を室温より低い温度で行なつた場合、本願発明の目的とする単一重合体を含まない共重合体が生成すると認めるにたる資料はない。
3 特許要件の有無
上記認定の事実からして、本願の発明は室温より低い温度ではその目的を達成することができないものと認められる。したがつて、本願の発明は、その全体としては完成されていないというべきであるから、旧特許法(大正10年法律第96号)第1条にいう発明と認めることができず、特許を受けることができないものである。
(4) 審決を取り消すべき事由
審決理由中、本願発明の要旨、本件出願の明細書第7頁末行ないし第8頁第1行に「室温ないし100℃の温度において」と記載され、また明細書に記載された実施例の重合温度は室温以上あるいは20℃以上であること、請求人が審判手続において昭和37年7月16日付で提出した意見書には、「この特徴は………(中略)………反応温度を室温乃至100℃で行なうことによつて始めて得られるものであります。」と記載されていることは認めるが、本願の発明は室温より低い温度ではその目的を達成することができないとした審決の判断は誤りで、本願発明は発明未完成ではないから、審決は取り消さるべきである。
1 本願発明の方法により製造さるべき目的物は単一重合体を「実質的に」含まない共重合体であれば足り、単一重合体の存在を全く許さない共重合体である必要はないと解すべきである。
2 ところが、実験結果によれば、本願発明の方法を室温より低い温度で行なつた場合でも、上記の目的物が得られることがたしかめられている。
(1) まず、実験の前提として、次のことが承認されるべきである。
Ⅰ エチレンとプロピレンの共重合体は、沸騰n―ヘプタンに可溶性であり、X線試験で無定形である。
Ⅱ エチレンの単一重合体とプロピレンの結晶性単一重合体は沸騰n―ヘプタンに不溶性であるから、可溶性であるエチレンとプロピレンの共重合体には、エチレンの単一重合体とプロピレンの結晶性単一重合体は含まれない。
Ⅲ プロピレンの無定形単一重合体は沸騰n―ヘプタンに溶性であるので、エチレンとプロピレンの共重合体中には、プロピレンの無定形単一重合体が含まれている可能性がある。
現在のところ、エチレンとプロピレンの共重合体とプロピレンの無定形単一重合体の混合物を分析して、プロピレンの無定形単一重合体の存在と量を直接的にたしかめる方法は存在しない。
(2) ところで、
Ⅰ(Ⅰ) 実験結果によると、モル比が四対一であるプロピレンとエチレンの混合物を使用し、1.5ミリモルのアルミニウム・トリヘキシルA1(C6H13)3と0.5ミリモルのバナジウム・オキシクロライドVOCI3とからなる触媒(モル比三対一)をもつて零下20℃の重合温度で750リツトル毎時の原料を循環量で重合し、重合体を塩酸の稀薄水溶液をもつて精製し、アセトンーメタノール混合物により凝固し、ついで真空乾燥したところ、X線試験で無定形であることが認められかつ沸騰n―ヘプタンをもつて完全に抽出しうる固体製品5.6グラムが得られ、59重量パーセントのプロピレン含有量を示した(甲第16号証の2の実施例1)。
(Ⅱ) また、別の実験によれば、モル比が三対一であるプロピレンとエチレンの混合物を使用し、1.5ミリモルのアルミニウム・ジエチル・モノクロライドA1(C2H5)2C1と0.5ミリモルのバナジウム・オキシクロライドVOCI3とからなる触媒(モル比3対1)をもつて零下20℃の重合温度で800リツトル毎時の原料の循環量で重合し、重合体を塩酸の稀薄水溶液をもつて精製し、アセトンーメタノール混合物により凝固し、ついで真空乾燥したところX線試験で無定形であることが認められかつ沸騰n―ヘプタンをもつて完全に抽出しうる固体製品8.5グラムが得られ、39.5重量パーセントのプロピレン含有量を示した(甲第23号証の実施似1)。
(Ⅲ) 上記(Ⅰ)(Ⅱ)の実験によつて得られた固体製品は沸騰n―ヘプタンにより完全に抽出すなわち溶解しうるものであるからエチレンとプロピレンの共重合体であつて、沸騰n―ヘプタンに不溶性であるエチレンの単一重合体とプロピレンの結晶性単一重合体を全く含まないことは明らかであるが、沸騰n―ヘプタンに溶性であるプロピレンの無定形単一重合体を含有する可能性は一応存在する。
Ⅱ そこで、
(Ⅰ) 実験により、プロピレンのみを原料として使用し、その循環量をⅠ(Ⅰ)の実験におけるプロピレンのみの量に相当する毎時600リツトルとし、触媒と重合温度はⅠ(Ⅰ)と同一にして重合したところ、0.25グラムのプロピレンの単一重合体が得られた(甲第21号証の2の実施例1)。
(Ⅱ) また、別の実験により、プロピレンのみを原料として使用し、Ⅰ(Ⅱ)と同じ触媒、重合温度で600リツトル毎時の原料の循環量(前記Ⅰ(Ⅱ)のモル比3対1のプロピレンとエチレンの混合物の800リツトル毎時の循環量中のプロピレンのみの循環量)で重合したところ、0.38グラムのプロピレンの単一重合体が得られた(甲第23号証の実施例2)。
(Ⅲ) しかしながら、上記(Ⅰ)(Ⅱ)はプロピレンのみが重合されたときに生成されるべきプロピレンの単一重合体の量であり、プロピレンがエチレンとの混合物において重合されたときにも生成すると理解されてはならない。
Ⅲ ところが、
(Ⅰ) 実験によれば、前記Ⅰ(Ⅰ)Ⅱ(Ⅰ)の実験と同一の装置および条件で、エチレンのみを原料とし、その循環量をⅠ(Ⅰ)の実験におけるエチレンのみの量に相当する毎時150リツトルとして重合したところ、ポリエチレンの生成量は7.6グラムであつて、n―ヘプタンには完全に不溶であり、X線で調べると96パーセントの結晶度を示した(甲第30号証)。したがつて、これに比べると、前記Ⅱ(Ⅰ)のプロピレンの重合速度は、0.0329倍も低い。
(Ⅱ) そして、一般にエチレンは、バナジウムオキシクロライドVOCI3とアルミニウム・トリヘキシルA1(C6H13)3とからなる触媒でプロピレンの存在で重合されるときは、プロピレンに比して200倍以上も活性である(甲第29号証参照)ことからみても、エチレンはプロピレンと共重合されるけれども、プロピレンの単一重合体は殆んど形成されない。
(3) 以上の諸点を考えると、零下20℃で生成された共重合体中には、エチレンの単一重合体もプロピレンの無定形単一重合体も含有されていないというべきである。
3 なお、原告が審判手続において昭和37年7月16日付で提出した意見書に審決認定のような記載をしたのは錯誤に基づくものであり、記載内容は事実に反する。
2 被告の答弁
(1) 請求の原因(1)ないし(3)の事実は認める。
審判請求が成り立たない理由は審決理由の要旨(1(3)記載)に示すとおりであり、審決に誤りはない。
1について
本願明細書の詳細な説明及び特許請求の範囲の記載からみて、「実質的に」の語句を、直接に「単一重合体」にかけて、「実質的に無定形で単一の重合体」と続けて読むべきではなく、無定形については「実質的」にであり、単一重合体については、単一重合体を殆んど含まない趣旨と解すべきである。
2について
冒頭は争う。
(1)は認める。
(2)のⅠないしⅢの実験結果のデータ自体は争わないが、Ⅲの(Ⅱ)は争う。
(3)は争う。
原告の主張には次のような疑問がある。
(1) 前記(4)2(2)Ⅰ(Ⅰ)(Ⅱ)の実験でそれぞれ5.6グラム、8.5グラムの共重合体が得られるとしていて、量的にはかなり少ないようであるが、単量体からの転化率が不明であるから、この結果から工業的な意味で目的共重合体の生成を裏づけるといえるかどうか確認できない。
(2) これらの実験によつても、プロピレンの単一重合体のうち無定形のものの存在と量はたしかめようがない。
(3) エチレンがプロピレンに比して200倍も活性であるからといつて、このことと原告主張の一連の実験結果との関連が解明されないまま、エチレンの単一重合体が前記(4)2(2)Ⅰ(Ⅰ)の実験で生成していないから、プロピレンの無定形単一重合体もなお生成している筈がないと即断してよいか疑問である。
(4) 原告主張の(4)2(2)Ⅰ、Ⅱの実験結果からしても、エチレンとプロピレンの共重合体中に存在するかも知れないプロピレンの単一重合体の量は、約4.4パーセントであり、「単一重合体を含まない共重合体」というには無視し得ず、余りにも量的に多いといわなければならない。4パーセント余りの不純物を含む共重合体が発明者が本願出願当初意図していた純枠の共重合体といえるかどうか疑わしい。
3について
争う。
理由
1 請求の原因(1)ないし(3)の事実は当事者間に争いがない。
2 そこで、審決を取り消すべき事由の有無について検討する。
(1) 本願発明の要旨が審決認定のとおりであることは当事者間に争いがない。そして、本願発明の目的とする共重合体は全く単一重合体を含まないものである必要はなく、殆んど単一重合体を含まないものであれば足りることは被告も争わないところである。
(2) そこで、本件の中心争点である、本願の方法を室温より低い温度で行なつた場合にも本願発明の目的とする単一重合体を殆んど含まない共重合体が生成するとは認められないかどうかについて、原告の主張する実験結果を吟味しながら検討することとする。
1 まず請求の原因(4)2(1)の事実は当事者間に争いがない。
2(1)Ⅰ 成立に争いのない甲第16号証の3(訳文は甲第16号証の2)によれば、請求の原因(4)2(2)Ⅰ(Ⅰ)の事実が認められ、また成立に争いのない甲第23号証によれば、請求の原因(4)2(2)Ⅰ(Ⅱ)の事実が認められる(上記実験データ自体は被告も争つていない)。
Ⅱ 上記の各実験結果を前記のように当事者間に争いのない請求の原因(4)2(1)の事実に照らして考えると、原告主張のとおり、上記各実験によつて得られた固体製品は、沸騰n―ヘプタンにより完全に抽出すなわち溶解しうるものであるから、エチレンとプロピレンの共重合体であつて、沸騰n―ヘプタンに不溶性であるエチレンの単一重合体とプロピレンの結晶性単一重合体を全く含まないことは明らかであるが、沸騰n―ヘプタンに溶性であるプロピレンの無定形単一重合体を含有する可能性は一応存在する。
2Ⅰ ところが、成立に争いのない甲第21号証の3(訳文甲第21号証の2)によれば、請求の原因(4)2(2)Ⅱ(Ⅰ)の事実が認められ、また前記甲第23号証によれば、請求の原因(4)2(2)Ⅱ(Ⅱ)の事実が認められる。
Ⅱ 上記(1)(2)Ⅰ認定の各実験結果を対比すると、プロピレンのみの原料を使用したときに得られるプロピレンの単一重合体の、プロピレンとエチレンの混合した原料を使用したときに得られる沸騰n―ヘプタンに可溶性の固体成分(プロピレンの無定形単一重合体を含んでいる可能性が一応存在するとみられるエチレンとプロピレンの共重合体から成る固体成分)に対する比率は、それぞれ4.46%、4.47%となる。この比率だけからみれば、エチレンとプロピレンの共重合体中にプロピレンの無定形単一重合体が4.5%弱含まれているように見えないでもない。
しかしながら、(2)Ⅰに認定したプロピレン単一重合体の生成量はプロピレンのみが重合されたときに生成すべき量であり、プロピレンがエチレンとの混合物において重合する場合にも生成すべき量と即断できないことは原告の主張するとおりである。
(3) そこでエチレンとプロピレンの活性の面から考えてみるのに、
Ⅰ 成立に争いのない甲第30号証によれば、請求の原因(4)2(2)Ⅲ(Ⅰ)の事実(ただし「96パーセントの結晶度」を「95パーセントの結晶度」とする。)が認められる。
Ⅱ 上記の結果を前記2(2)Ⅰにおいて認定した実験結果と対比して考えると、エチレンの重合速度はプロピレンのそれに遙かにまさり、それぞれの実験に用いられた原料の循環量を考慮すると、エチレンの単一重合体の生成量はプロピレンの単一重合体の生成量の120倍を超える筈である。
Ⅲ ところが、先に認定した請求の原因(4)2(2)Ⅰ(Ⅰ)の実験において生成した固体成分は沸騰n―ヘプタンに完全に溶解しているから、この固体成分中にはプロピレンの結晶性単一重合体ばかりでなく、エチレンの単一重合体も生成していないとみることができる。
このようにエチレンの単一重合体さえ生成していないとみられる以上、この場合プロピレンの無定形単一重合体が生成する可能性は殆んど考えられないから、上記固体成分は、プロピレンの結晶性単一重合体はもとよりその無定形単一重合体も含まないと推認されるエチレンとプロピレンの共重合体であると考えられる。
3 以上述べたところから明らかなように、本願発明は、その反応温度が室温以下である零下20℃においても目的を達することができるものと認められる。被告は工業的な意味で目的共重合体の生成が確認されないというけれども、上記のように実験的に目的共重合体の生成が可能なことが確認されるのであるから、特段の事情についての主張立証がない以上、工業的な意味でも目的重合体の生成が確認されたということができる。
(3) なお、
1 本願の明細書第7頁末行ないし第8頁第1行に「室温ないし100℃の温度において」と記載され、また明細書に記載された各実施例の重合温度は室温以上あるいは20℃以上であることは当事者間に争いがないけれども、本願明細書の特許請求の範囲の記載において温度条件について何らの限定もない以上、上記実施例だけから、室温以下では発明の目的を達することができないと断定することは相当でない。
2 また、請求人(原告)が審判手続において昭和37年7月16日付で提出した意見書には、「この特徴は……(中略)……反応温度を室温乃至100℃で行なうことによつて始めて得られるものであります。」と記載されていることは当事者間に争いがないけれども、本願明細書の特許請求の範囲において温度条件について何らの限定もなく、しかも実験結果によつて室温以下でも発明の目的が達せられることが認められる以上、上記の意見書に上記のような記載があるからといつて、それは誤解ないし誤記というほかなく、発明が完成していることの認定の妨げにはならない。
(4) そうすると、本願発明は室温より低い温度ではその目的を達することができないとした審決の判断は誤りとみるべきであり、審決はこの点で取り消しを免れない。
3 よつて本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条を適用して主文のとおり判決する。
(小堀勇 小笠原昭夫 石井彦壽は転任のため署名押印できない。)